
内藤とうがらし®ものがたり㊤「都会の真ん中で」
現代では畑はほとんど見当たらない大都会新宿。この都会の真ん中で「内藤とうがらし」を育て、広め、地域の活性化をはかろうという取り組みがある。活動をはじめて10年になるという「新宿内藤とうがらしプロジェクト」のメンバーにお話を伺った。
一度絶滅したとうがらし
「内藤とうがらし」は江戸時代の内藤町(現在の新宿御苑を中心とした地域)で栽培されていたとうがらしだ。当時のそば人気の影響で評判となり、その収穫時期には「新宿から大久保へ掛けて真っ赤な絨毯をしきつめたような光景」が広がるほど多くの農家が栽培していたという。
しかし江戸が繁栄するのに伴い、畑そのものが新宿から無くなっていく。さらに辛味の強い「鷹の爪」の台頭で絶滅に追いやられてしまった。
この「内藤とうがらし」に着目したのがプロジェクトリーダーの成田氏だ。新宿という街を活性化するためのキーとして「内藤とうがらし」を復活させたいと考えた。まずは新宿の歴史を調査し「とうがら史」を編集。新宿御苑での調査結果発表を経てプロジェクトを発足した。
復活するためには「種」が必要だと、各所を訪ね歩き農水省に行き着く。ジーンバンクが保存していた種のうち「7粒」を分けてもらい、栽培を開始。3年という歳月をかけて固定種にした。2013年には「江戸東京野菜(JA東京中央会)」にも認定され、ブランド野菜として復活を果たした。
子どもたちから広げる
プロジェクトの目的は「地域活性化」。そのため最初の活動は「新宿の子どもたちに教える」ことからはじめた。小学校の総合学習のプログラムの一つとして「新宿の歴史を学び」「内藤とうがらしを育て」「調理し食べる」という一連の流れを取り入れてもらった。
子どもたちは「学ぶ」だけでなく「自ら考え」様々な活動を行っていったという。地域と連携する「とうがらしイベント」を行ったり、レシピ開発をしたり。「子どもたちの発信力と発想力、突破力はすばらしい。大人が尻込みするようなことも難なくやってのける」と成田氏は絶賛する。
現在では小学校だけでなく高校、大学、専門学校へも活動が広がっている。年に一度、研究成果を発表する「新宿内藤とうがらしサミット」も開かれている。

地域のブランドとして
子どもたちの活動だけでなく、地域住民に苗を配り栽培してもらう活動や、加工品の開発・販売、地域ブランド化も行ってきた。参画する加工品メーカーは41社、一味や七味などおなじみのとうがらし製品の他に、あられや手ぬぐいなども製造・販売している。
これらの商品が「新宿のお土産」として定着することも、プロジェクトの目標の一つだ。

地域ブランドとして着実にその地位を確立しはじめている。
「内藤とうがらし®ものがたり㊦『究極の地産地消』」は再来週公開予定です。