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Interview

南極料理人のお店 — 南極での調理【南極カレンダープレゼント】

2022.12.12

前回ご紹介した「南極観測隊」で料理人をつとめた中村嘉明さん。今回は当時を振り返ってお話しいただきました。

お金で行けないところへ

南極観測隊の調理人の募集を聞いたのは、都内の結婚式場で料理人として修行をしていたときだったという。「お金で行ける場所ではないから、チャレンジしてみよう」と応募した。

着任したのは1979年、第21次南極地域観測隊の越冬隊。任期は2年だが、南極での活動期間は1年間。当時の越冬隊員は総勢33名、中村さんは22歳で最年少だったという。

最高の楽しみを任されて

南極の冬期は、一日を通して日が登らない「極夜」が続く。昭和基地のある場所では約45日間もあるという(南極点だとさらに長期間に)。太陽が地平線スレスレを移動するため、最も明るい時間でも「夜明け前」や「日没後」程度の明るさにしかならない上に、その時間も数時間。屋外での作業もできないため、隊員たちは基地内でできる作業のみを行う。

そんな中での隊員たちの最高の楽しみといえば「食事」。期待を一身に背負い調理するが、生まれも育ちも違い味の好みがバラバラな隊員すべての期待にこたえることは難しい。「腕を試される日々でした」。皆が同じテーブルで食事をするため、隊員一人ひとりが満足しているかどうかがすぐにわかったという。厳しい環境にも思えるが「南極で過ごした時間は人生の宝物」だと微笑む。

アイデアで乗り切る

1年間の食料は隊員一人当たり1トンになる。大事な食材をどう活かすか、先輩方の献立も参考にしながら、レパートリーの拡充に取り組んだという。沖縄や富山でその土地ならではの料理や味付けを、都内のパン屋でパン生地の作り方を学んだ。

「越冬隊のための食材は意外と高価なものも多い」と中村さん。キャビアや松阪牛、フォアグラ、カラスミなどもあったという。「いったいいくらかかるのか想像もつかなかった」とともに「越冬隊に参加することはとんでもないこと」なのだと感じた。

とはいえ食材には限りがある。常に食料が補給されるわけではないためだ。「ステーキが食べたい」という隊員の声を聞いても、冷蔵庫にほとんど牛肉が無いことも。豚肉と鶏肉もあわせて串焼きにし「肉の三兄弟」として提供して乗り切った。

基地の外から氷を持ち込み、お皿に仕立てマグロやサーモンを並べたり、お弁当箱に料理を盛り付け「駅弁シリーズ」と名付けてみたり、様々な工夫を凝らして隊員たちに提供してきた。

無事に任期を終えられそうだとなったとき、観測船で撮影した写真や、隊員の名刺を鍋に入れて基地の外に埋めてきたという。「私のタイムカプセルです」。

居酒屋で南極を伝える

任務を終えて帰国した中村さんは、結婚式場の料理人に復帰。その後、くも膜下出血という大病とその後のリハビリを乗り越えて、2005年に居酒屋「八十八(やそはち)」を開店。一緒に働くのは、同じ結婚式場で美容師として働いていた、妻の利枝子さんだ。

店内には南極の石や「南極圏通行証書」、南極関連の書籍などが置かれている。中村さんは調理の仕事がひととおりおわると厨房から出てきて、お客様に南極のあれこれを熱く語る。

南極圏通行証書

いつかもう一度南極に行きたいと語る中村さん。東京で南極を感じられる空間を今日も守っている。

※南極観測は現在も続けられていて、2022年11月に第64次南極地域観測隊本隊が昭和基地へ向けて出港したところ。現在はブログなども公開されているので一度見てみては。

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SHOP INFO

八十八(やそはち)
〒160-0022 東京都新宿区新宿1丁目29−7 新宿ウィステリアビル
TEL 03-3355-3883