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凧あげの豆知識

2023.1.10

あけましておめでとうございます。
本年もオフィス・サウスならびにSouthStyleをよろしくお願いいたします。
新年初回のコラムは「凧あげ」です。

凧あげの起源

凧あげは中国で生まれたもの。もともとは測量を行う、信号を送るなどの「戦の道具」として使われていた。唐の時代頃から、凧は遊びに使われるようになった。凧に糸や竹笛をつけて音が鳴るようにし、お祭りなどの行事として行われるようになっていく。さらにひろまった明の時代には、子どもたち遊びとなっていく。

この凧あげが日本に伝わったのは平安時代。四角い本体に足がついている形だったため「いか」や「いかのぼり」と呼ばれていた。当時は貴族や武士の一部だけの遊びだったと言われている。

これが江戸時代になると庶民にも「いかあげ」として広まっていく。男の子が生まれた家では、お正月に「男の子の健康と成長を願い」あげられるように。

その後江戸では「いかあげ」が大流行。「いかあげ」がきっかけで喧嘩になり死人がでたり、大名行列にいかが落下したり、農作物に被害がでたりと問題も多く発生した。これをなんとかしようと幕府が「いかのぼり禁止令」を出すほど。

「いか」から「たこ」へ

この「いかのぼり禁止令」が「いか」から「たこ」へと名前が変わったきっかけだと言われている。幕府の禁止令に反発した庶民が「これは『いか』ではなく『たこ』だ」と言い張ったのだという。

そのせいか、明治時代までは凧を「たこ」と呼ぶのは関東地方だけだった。関西では変わらず「いか」や「いかのぼり」と呼んでいた。

ちなみに、地方によっては「いか」でも「たこ」でもない呼び方をしているところもある。長崎では「ハタ」や「ハタあげ」、東北地方では「てんぐばた」、長野や群馬県では「タカ」、中国地方では「タツ」と呼ばれている。

端午の節句の大凧あげ

お正月のほか、端午の節句の行事として大凧あげを行う地域もある。

滋賀県東近江市では100畳もある大凧あげをする「八日市大凧祭」が行われてきた。江戸時代中期から始まった祭りで、1882年には240畳の大凧が揚げられたという記録がある。この「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国の選択無形民俗文化財にもなっている(現在は休止中)。

このほか埼玉県春日部市の「大凧あげ祭り」(国の選択無形民俗文化財、5月3日、4日)、静岡県浜松市の「浜松まつり」(5月3~4日)、愛媛県内子町の「五十崎の大凧合戦」(5月5日)、神奈川県相模原市「相模の大凧あげ」(5月4日、5日)、神奈川県座間市「座間市大凧まつり」(5月4日、5日)、新潟市の「白根大凧合戦」(6月中旬)などの大凧あげのお祭りがある。

凧あげのできる場所が少なくなった今、こうしたお祭りの存続は貴重ではないだろうか。

本年の皆様の運気が、凧のように天高くあがりますように。

HIGHLIGHT

本年もSouthStyleをよろしくお願いいたします。