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4月はじまり

2023.3.20

3月4月は卒業・入学のシーズン。子どもたちや若い世代が、希望に胸をふくらませる季節。社会人になると「年度末」という「いそがしい時期」というネガティブイメージが先行してしまうかも知れませんが・・・。本日は「年度」についてのお話です。

学校の年度

日本では4月からはじまる新学期。世界の学校はというと、開始時期はかなりまばら。1月はじまりもあれば、2月はじまりなど、「中途半端」に感じてしまう時期にはじまる国もある。 欧米諸国は御存知の通り9月が多い。「農作業」と「学業」を両立させられるよう、この時期に決められたと言われている。小麦などの収穫が本格化する夏の農繁期、干し草づくりがはじまる酪農の繁忙期が終わる時期を選ぶことで、学校に通う子どもを増やす狙いがあった。

日本はと言うと、江戸時代に最盛期を迎えた寺子屋や藩校などは「いつでも入学」できた。親の職業や本人の希望に応じた個別指導が行われていたため、一斉入学をさせる必要がなかったのだ。

明治時代になると、西洋文化が広まり教育現場も大きく変わる。西洋にならい、一斉に入学し同じ教育を受けるスタイルが広がっていく。当時は西洋にならって新学期は9月はじまりだった。

明治の半ばごろから、「国の会計年度」に合わせた4月はじまりが広がっていく。明治19年(1886年)に国の会計年度が4月はじまりにかわったためだ。学校の運営資金を国から調達する際に会計年度が同じであるほうが便利だ、という理由から広まったとされている。

政府の会計年度

政府の会計年度は、明治時代初期に何度か変わっている。10月はじまり、1月はじまりだった時代もある。それが4月はじまりに固定化された理由には、2つの説がある。「農家の金納に対応した」とする説と、「赤字予算の解消のため」という説だ。

「農家の金納」は、当時の主な納税者が稲作農家だったことが関係する。江戸時代は年貢として米を納める現物納だったものが、明治時代には現金で納める現金納付に変わった。江戸時代は収穫してすぐに納めることができたが、収穫後に現金化するまでの時間を勘案する必要性が出てきたため、時期を変更したとする説だ。

また、「当時の赤字予算を解消したかったから」という説もある。明治初期の政府は西洋の文明においつくべく、多くの予算を富国強兵に投じた。そのため財政的に苦しい年も多かった。特に1884年(明治17年)には多額の赤字が見込まれていたという。

このとき大蔵卿だった松方正義は、自分の任期中に赤字になることを避けるため次年度の歳入3ヶ月分を繰り上げるという、今では考えられない施策を実施。繰り上げた3ヶ月分は、その後も赤字にすることなく帳尻を合わせるために、18年度は3カ月短い9カ月に、19年度は4月から翌年3月にした。結果、赤字が削減され、4月はじまりが定着したという。

理由はどうあれ、新たなスタートを咲き誇る桜の花とともに喜べるのは心が弾む。教育現場では9月はじまりの検討もされているというが「日本らしさ」のひとつとして、4月はじまりを残してもいいのかもしれない。

HIGHLIGHT

学校の4月はじまりは政府の会計年度にあわせたから。4月はじまりのきっかけは、農家の納税対策説と財政赤字対策説がある。