
桜がつむぐ物語 -桜onプロジェクト-
お花見の季節。みなさんは桜の花を見て何を思われますか。
被災地に桜を植えることをきっかけに「被災地を応援し続け」ているNPOがあります。その活動についてPromotion Directorの羽永(はなが)さんにお話を伺いました。
被災地に桜を植える意味
はじまりはひとりの男性、現在もNPOの代表をつとめる田中さんの熱い思いだった。
田中さんは、花屋。人と人の間の「物語」を大事にし、その物語をフラワーアレンジメントやブーケにしてきた。
田中さんは東日本大震災の被災地の様子を見たときに、「たくさんの物語が一瞬で流されてしまった」と感じた。それならば、と、新たな物語をつむぐための策を考える。それが、桜の植樹だった。
田中さんは桜を「年に一度、誰もが意識する花」だと言う。忘れてはいけない震災と被災地のことを、桜とともに思い出してもらう。「桜が震災のモニュメントになる」はずだと考えた。
さらに丘の上に植えた桜は、津波が来た際の避難の目印にもなる。「あの桜まで逃げれば助かる」と、100年後200年後の人々にもわかりやすく伝えることができる。
被災地とつながり続ける
田中さんは、桜を植えることに「共感してくれる人」と「場所を提供してくれる人」を探しはじめる。その輪は少しずつ広がり、様々な職種や経歴、そして物語を持つ方々へと広がっていった。「桜on気仙沼」「桜on牡鹿半島」「桜on田野畑・沼袋」など、東北各地で活動していく。

プロジェクトメンバーは「植えて終わりにしたくない」という思いも強く持っていた。
桜を植えに行く人々には、その土地と人を学んでもらう機会を提供する。植樹の際は土地の人々と一緒に汗を流す。植樹という体験をともにすることで、新たな物語が生まれる。
土地の人々にはできるだけ定期的な報告をお願いする。「やっと咲きました」「ちょっと元気がないです」などその時々の桜の様子を伝えてもらうことで、植樹に参加した人々とのつながりが維持される。
もちろんすべての桜が順調に育つわけではない。メンテナンスのために再訪し、場合によっては植え替えもしながら、桜の成長を皆で見守る。植樹に関わった人たちが、育った桜を見るために再訪することで、物語がまた生まれる。
もともと「細く長く続けられる活動」を目指していたプロジェクト。被災地を支援するNPOなどに支給される補助金は、いずれはなくなる。補助金がなくなっても続けられる体制を、羽永さんをはじめとしたメンバー皆で模索しながら作り上げることに成功した。

思いがさまざまな効果を
活動をはじめて12年。プロジェクトには被災地支援だけではない、新たな効果も生まれている。パナソニックの労働組合との連携事業だ。
当初は、組合員の被災地へのボランティアの一環として全国から募った有志でスタート。参加者は「人のつながり」や「働く意義」などを考えるようになり、現地の方々からも学ぶことが多くあったという。
お話を伺った羽永さんは、2016年に自身が植樹した桜を見るために子どもを連れて再訪した。「牡鹿半島の桜の下で二十歳を迎えた息子と地元の方と一緒に酒を交わす」ことが楽しみだという。
桜onプロジェクトのサイトにはたくさんの物語が掲載されている。のぞいてみてほしい。
INFO
特定非営利活動法人 桜 on プロジェクト
東京都港区南青山二丁目2番15号