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日本遺産を巡る旅-那須野が原開拓浪漫譚-

2023.7.24

以前、ご紹介した日本遺産はお酒「伊丹諸白」と「灘の生一本」でした(日本遺産のお酒①「伊丹諸白」と「灘の生一本」)。今回は「那須野が原」という広大な扇状地にある「明治貴族たちの足跡」をご紹介します。

広大な荒野を開拓

「那須野が原」は栃木県の北東部に位置する日本最大の扇状地。広義では那須塩原市、大田原市などを含み、約7万haもある。扇状地とは川に挟まれた扇型の地形のことで、乾燥したやせた土地。農作物を育てることが難しい土地で、那須野ヶ原も140年前まで人が住めない荒野だった。

江戸中期の俳人、山崎北華(やまざきほっか)の紀行文「蝶の遊」に「手して掬ふ(すくう)水もなし」と記述されたほどの不毛の地だった。

この地の開拓が始まったのは明治時代。政府の殖産興業政策の下に本格的な開拓が始められた。とはいえ、開拓は並大抵の作業ではなかったという。那須野が原は砂礫と火山灰でできていたため、開墾のはじめの作業は「石をひとつずつ取り除く」ことだった。取り除かれた石は現在も那須野が原各地に残されており「石ぐら」と呼ばれている。

治水事業も進む。印南丈作(いんなみじょうさく)、矢板武(やいたたけし)らが整備した「那須疏水(なすそすい)」など、用水路が整備された。
華族がこの地に大農場を設立したほか、青木周蔵(あおきしゅうぞう)、松方正義(まつかたまさよし。大蔵大臣や総理大臣を歴任)なども相次ぎ農場や牧場を設立した。

日本遺産に認定

設立当初の農場や牧場は、採算度外視。多くの私財がこの土地に投じられた。それは国のためではなく、この土地への愛着からだったという。

―新国家建設への情熱もさることながら、何よりこの土地への深い愛着によるものでした。何人かの農場主は自ら望んでこの地に葬られ、それ以外にも多くの農場主が、死後その名を冠した神社に祀られています。―
日本遺産ポータルサイトより

西郷隆盛の実弟、西郷従道(つぐみち)もこの地に農場を設立、今も那須塩原市にある西郷神社に祀られている。

日本遺産の構成要素として登録されているのは、こうして開墾された農場、牧場、取水施設、開墾に携わった華族たちが暮らした建物、祀られている神社など。

明治貴族が描いた未来
〜那須野が原開拓浪漫譚〜
構成文化財

旧青木家那須別邸/大山別邸/松方別邸/山縣有朋記念館/旧塩原御用邸新御座所/乃木希典那須野旧宅/矢板武旧宅/山田農場事務所跡(山田資料館)/三島農場事務所跡(那須野が原博物館)/那須野が原博物館収蔵資料/山縣農場/西郷神社/大山参道/烏ヶ森の丘/平田東助の墓/御亭山緑地公園/那須野が原公園(県北大規模公園)/蛇尾川/那須疏水旧取水施設/那須基線(観象台)北端点/那須基線(観象台)南端点/旧黒田原駅舎瓦/ 謝恩碑/「拓魂」碑/「開拓」碑/大田原市歴史民俗資料館収蔵資料/大田原市大野放牧場/那須町共同利用模範牧場/千本松牧場/南ヶ丘牧場/那須ワイン/矢板のリンゴ

さまざまな景色が楽しめる

山縣有朋記念館などの洋館は趣があり、農場主たちが抱いた欧州文化への強い憧れを感じることができる。

山縣有朋記念館
この奥に松方別邸が

「山縣農場(地域名)」にはのどかな田園風景が、「生乳生産量本州一」を誇る牧場からは地域を見渡す景色がある。日本遺産を巡るだけでも、様々な景色が楽しめる。

8月半ばからこの地を巡るデジタルスタンプラリーも開催される(サウスもお手伝いしている)。夏休みのお出かけに、那須野が原一帯を散策してみてはいかがだろうか。

日本遺産の目印は赤い丸の看板

INFO

株式会社オフィス・サウス
160-0022 東京都新宿区新宿1-17-1
ランド・デン4階
TEL:03-5366-8070
FAX:03-5366-8069